原村・阿久遺跡(配石帯と石柱)
よみもの

20363 / はらむら

長野県 諏訪郡

原村

縄文前期の円形広場が、森の中にある。

阿久遺跡|配石帯と石柱

Photo by Takuma-sa (CC BY-SA 4.0)

01 / 鏝絵

村の土蔵に、漆喰の鏝絵が1,000を超えて残るという。

「日本で最も美しい村」連合は、村内に1,000を超える鏝絵が残ると記します。村は冊子『原村の土蔵を彩る鏝絵』を出しており、郷土館の蔵「まてのくら」は、しっくいのなまこ壁によみがえり、鏝絵に気兼ねなく近づけます。「まて」はこの地域で「丁寧な仕事」を意味する言葉です。

  • 1,000を超える鏝絵(連合)
  • 郷土館の蔵「まてのくら」
  • 「まて」=丁寧な仕事

02 / ぼろ機織り

古い布を細く裂いて、緯糸にして織り直す。

ぼろ機織りは裂き織りとも呼ばれ、古布を裂いて緯糸に渡した織物です。村公式は、綿花が育たない寒冷地を中心に、農家の女性の冬の手仕事だったと説明します。連合は、起源が同じ「ぼろ機織り」と新しい工夫の加わった「裂き織り」が、原村では互いに尊重し合って存在すると記します。

  • 古布を1cm足らずに裂く(連合)
  • 冬の農閑期の手仕事
  • ぼろ機織りと裂き織りが共存

03 / 新田

八つの新田が集まって、明治8年に原村になった。

原村の新田
Photo by ごしたい人 (CC BY-SA 3.0)

連合は、村の歴史が400年余り前の新田開発に始まると記します。村公式サイトの町村週報の記事は、原村を近在で一番遅く開発免許状が下された新田村とし、それ以前は諏訪明神の御狩場の神野(こうや)だったといわれると書きます。八つの新田が集まって村を結成したのは明治8年とあります。

  • 新田開発から400年余り
  • 8つの新田
  • 明治8年に結成

空から見た原村

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2004年撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

原村に、鉄道の駅は無い。

  • 人口8千人規模
  • 郡部の町

村公式は「原村は電車の駅がない村です」と記し、特急が停まる最寄りの駅はJR中央線の富士見駅と茅野駅とします。村内を走る路線バスの穴山・原村線は茅野駅と原村役場を結び、運行は平日のみです。玄関口は原村役場です。

住んでいる人
7,680人
19952020

2015年より +1.5%

7,005 → 7,680人

面積
43.26km²

うち可住地 23.35km²

2024年

世帯数
2,895世帯

1世帯 2.7人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所5

人口1万人あたり 6.5

2023年

面積43.26km²うち可住地23.35km² / 54%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 1園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・4市町村に、接している。

日本のなかの原村35.964°N 138.217°E
大阪原村
原村の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

5.9km

山梨県
北杜市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

原村は、こういう町です。

  1. 01阿久遺跡は縄文前期の集落跡で、国の史跡。文化庁の解説は、諸磯期に径50mの円形広場の外周を幅25〜45mの配石帯が巡り、中央に高さ1.34mの石柱が立つと記す
  2. 02連合は、村内に1,000を超える土蔵の鏝絵が残ると記し、村は郷土館の蔵「まてのくら」で鏝絵を紹介する。古布を裂いて織る「ぼろ機織り」と「さき織り」も村に並ぶ
  3. 03村の歴史は新田開発に始まり、八つの新田が集まって明治8年に原村になった。村公式は、村内に電車の駅は無く、最寄りの特急停車駅は富士見駅と茅野駅と記す

気になったら、町に聞いてみませんか。