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よみもの

32501 / つわのちょう

島根県 鹿足郡

津和野町

「哲学」の語を作った人が、ここで育った。

西周旧居

Photo by Heartoftheworld (CC BY-SA 4.0)

01 / 鷲原八幡宮流鏑馬の馬場

流鏑馬の馬場が、日本で唯一、原型を残す。

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Photo by Naokijp (CC BY-SA 4.0)

津和野城主・吉見正頼が1568年、鷲原八幡宮の造営とあわせて造ったと伝わる流鏑馬の馬場。長さ250mに的場3か所を設け、町は「日本で唯一原型を残す」と伝える。2011年、国の重要文化財に指定され、毎年4月に流鏑馬神事が営まれる。

  • 1568年(永禄11年) 築造と伝わる
  • 長さ250m・的場3か所
  • 2011年 国指定重要文化財

02 / 旧堀氏庭園・畑迫病院

銅山で財を成した堀氏が、精錬くずの煉瓦で、花壇を作った。

笹ヶ谷銅山などで財を成した堀氏が、私費で村に開いた畑迫病院。1892年の開院時、精錬くずの「からみ煉瓦」で前庭の花壇を造った。国指定名勝「旧堀氏庭園」の一部として2016年、資料館になった。

  • 1892年(明治25年) 堀礼造が私費で開院
  • からみ煉瓦は笹ヶ谷銅山の精錬くず
  • 2005年 国指定名勝・2016年 資料館公開

03 / 乙女峠

長崎から配流された153人のうち、36人が、亡くなった。

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Photo by Otota DANA (CC BY 2.0)

1868年と70年、長崎・浦上のキリスト教徒153人が津和野藩に配流され、光琳寺に幽閉された。改宗を拒み、36人が亡くなったと町は伝える。1948年、跡地に乙女峠マリア記念堂が建ち、毎年5月3日「乙女峠まつり」が営まれる。

  • 1868・1870年 153人が配流
  • 改宗を拒んだ36人が死亡(町の記録)
  • 1952年から 毎年5月3日 乙女峠まつり

くらし

山口県境の山あいに、津和野川が流れる。

  • 人口7千人規模
  • 郡部の町

津和野町は島根県南西部、山口県と境を接する山あいの町です。津和野川沿いに、江戸時代の城下町の面影を残す殿町通りが続きます。2005年、旧津和野町と日原町が合併して生まれました。土日祝には、新山口駅との間をSLやまぐち号が走ります。

住んでいる人
6,875人
20052020

2015年より −10.2%

9,515 → 6,875人

面積
307.03km²

うち可住地 26.64km²

2024年

世帯数
3,090世帯

1世帯 2.2人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所6

人口1万人あたり 10.2

2023年

面積307.03km²うち可住地26.64km² / 9%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103

人口は2005年以降(市域変更)。2005-09-25 に新設合併(日原町)。2005年調査から市域が変わっている。

待機児童
—保育所等 2園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・4市町村に、接している。

日本のなかの津和野町34.542°N 131.835°E
東京大阪津和野町
津和野町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

19.2km

島根県
益田市・吉賀町
山口県
山口市・萩市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

津和野町は、こういう町です。

  1. 01津和野町後田の西周旧居は、「哲学」「感覚」などの言葉を作った明治の啓蒙思想家・西周が4歳から21歳まで暮らした家です。津和野川をはさんだ向かいには、藩医の家に生まれた森鷗外の生家も残ります。
  2. 02鷲原八幡宮の流鏑馬の馬場は、1568年に築かれたままの形が日本で唯一残ると町は伝えます。旧堀氏庭園の一角、畑迫病院は銅山で財を成した堀氏が私費で開いた病院で、精錬くずの煉瓦で花壇を造りました。
  3. 03乙女峠には、明治初め長崎から配流されたキリスト教徒153人のうち36人が亡くなった史跡が残り、毎年5月3日に乙女峠まつりが営まれます。城下町には太皷谷稲成神社や、うずめ飯などの郷土料理も伝わります。

気になったら、町に聞いてみませんか。