鰺ヶ沢町・種里城跡(主郭)
よみもの

02321 / あじがさわまち

青森県 西津軽郡

鰺ヶ沢町

平地から約20m上の、四段の平場。

種里城跡|主郭

Photo by 小池 隆 (CC BY 4.0)

01 / 玉垣

船の重石も兼ねたとされる御影石が、社を囲む玉垣になった。

1816年、大坂の橘屋四郎兵衛らを発起人に、白八幡宮の本殿を囲む玉垣が建ちました。御影石は海路で運ばれ、船の重石も兼ねたとされます。刻まれた名は大坂や北陸地方、鰺ヶ沢湊の船問屋らのもの。拝殿には船絵馬12点を含む絵馬42点が現存します。町指定の歴史資料です。

  • 1816年 建立
  • 町指定の歴史資料
  • 絵馬42点が現存

02 / 社標

大熊6頭を狩った記念に、社標の側面へ名が刻まれた。

鰺ヶ沢町の社標
Photo by あおもりくま at Japanese Wikipedia(Aomorikuma) (CC BY-SA 3.0)

赤石川沿いの一ッ森村・大然村のマタギの集団は、昔から赤石マタギと呼ばれました。1921年に建った大山祇神社の社標の側面には、大正3・4年に大熊6頭を狩った記念として当時のマタギの名が、裏面には藩政時代以来の名が刻まれています。

  • 1921年 建立
  • 大正3・4年 大熊6頭
  • 裏面に藩政時代以来の名

03 / 日和山

日和を見た所とされる高台に、岩木山の形の石が立つ。

日和山は、船乗りが船を出すか決めるとき、天候を見た所とされます。岩木山の遥拝所でもあり、お山参詣に行けなかった人がここで拝みました。岩木山の形をした石は1858年に二丁目・米町の人々が建立。1821年に弁天崎へ建てられた常灯碑は、近代に白八幡宮の境内へ移されました。

  • 1858年 建立
  • 1821年 常灯碑
  • 岩木山の遥拝所

空から見た鰺ヶ沢町

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2004年撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

弘前から五能線で、約1時間15分。

  • 人口9千人規模
  • 郡部の町

町公式のアクセス図は、鉄道で弘前から五能線で約1時間15分、新青森から奥羽本線・五能線で約1時間30分と示します。東京からは東北新幹線で新青森まで約3時間10分。人口は8,053人(2026年8月末)です。

住んでいる人
9,044人
19952020

2015年より −10.7%

14,077 → 9,044人

面積
343.08km²

うち可住地 80.7km²

2024年

世帯数
3,643世帯

1世帯 2.5人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所5

人口1万人あたり 6.6

2023年

面積343.08km²うち可住地80.7km² / 24%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 5園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・6市町村に、接している。

日本のなかの鰺ヶ沢町40.780°N 140.209°E
東京大阪鰺ヶ沢町
鰺ヶ沢町の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

40.6km

秋田県
八峰町・藤里町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

鰺ヶ沢町は、こういう町です。

  1. 01国史跡の種里城跡の主郭は、平地からの高さが約20mの独立した平坦地で、東は赤石川の急な崖、ほかの三方を大規模な堀がめぐり、大きく4段の平場に分かれる
  2. 02白八幡宮の玉垣は1816年に海路で運んだ御影石で建てられ、赤石川沿いの大山祇神社の社標には、大熊を狩った記念に赤石マタギの名が刻まれている
  3. 03町の鉄道はJR五能線で、町公式のアクセス図は弘前から約1時間15分、新青森から約1時間30分と示す

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

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