01 / 玉垣
船の重石も兼ねたとされる御影石が、社を囲む玉垣になった。
1816年、大坂の橘屋四郎兵衛らを発起人に、白八幡宮の本殿を囲む玉垣が建ちました。御影石は海路で運ばれ、船の重石も兼ねたとされます。刻まれた名は大坂や北陸地方、鰺ヶ沢湊の船問屋らのもの。拝殿には船絵馬12点を含む絵馬42点が現存します。町指定の歴史資料です。
- 1816年 建立
- 町指定の歴史資料
- 絵馬42点が現存
01 / 玉垣
1816年、大坂の橘屋四郎兵衛らを発起人に、白八幡宮の本殿を囲む玉垣が建ちました。御影石は海路で運ばれ、船の重石も兼ねたとされます。刻まれた名は大坂や北陸地方、鰺ヶ沢湊の船問屋らのもの。拝殿には船絵馬12点を含む絵馬42点が現存します。町指定の歴史資料です。
02 / 社標
赤石川沿いの一ッ森村・大然村のマタギの集団は、昔から赤石マタギと呼ばれました。1921年に建った大山祇神社の社標の側面には、大正3・4年に大熊6頭を狩った記念として当時のマタギの名が、裏面には藩政時代以来の名が刻まれています。
03 / 日和山
日和山は、船乗りが船を出すか決めるとき、天候を見た所とされます。岩木山の遥拝所でもあり、お山参詣に行けなかった人がここで拝みました。岩木山の形をした石は1858年に二丁目・米町の人々が建立。1821年に弁天崎へ建てられた常灯碑は、近代に白八幡宮の境内へ移されました。
いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます
広域(約6km四方)
近景(約1.5km四方)
いま(2004年撮影)1974〜78年撮影
出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))
くらし
町公式のアクセス図は、鉄道で弘前から五能線で約1時間15分、新青森から奥羽本線・五能線で約1時間30分と示します。東京からは東北新幹線で新青森まで約3時間10分。人口は8,053人(2026年8月末)です。
2015年より −10.7%
14,077 → 9,044人
うち可住地 80.7km²
2024年
1世帯 2.5人
2020年
人口1万人あたり 6.6
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
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