Nogata Coal Mine Museum 20160429-1.jpg
よみもの

40204 / のおがたし

福岡県

直方市

炭鉱経営者が、激論を戦わせた建物。

旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所

Photo by そらみみ (Soramimi) (CC BY-SA 4.0)

01 / 直方会議所と模擬坑道

会議所の裏の高台にある坑道で、約4万5千人が救護を練習した。

明治43年(1910)完成の木造2階建ての洋風建築に、炭鉱経営者らが集い、炭価調整や石炭輸送、鉱山保安を議論した。裏の高台の模擬坑道は明治45年に日本で最初に設置され、いまの煉瓦造アーチは大正9年築。ともに国史跡。

  • 会議所は明治43年(1910)8月完成
  • 模擬坑道の設置は明治45年
  • 救護練習は昭和43年まで、約4万5千人

02 / 直方隕石

861年に境内へ落ちたという隕石の、目撃の記録が残る。

須賀神社(下境)の境内に、貞観3年(861)隕石が落ちたという。県の観光公式は、目撃記録が残り、世界最古の隕石として知られると紹介する。境内にはレプリカがあり、実物は5年に1度10月の神幸大祭で公開される(2016年10月)。

  • 貞観3年(861)の落下と伝わる
  • 実物は5年に1度10月に公開
  • IAU論文集:記録にある最古の落下に関わる

03 / 長崎街道

廃藩で家臣が去ると、町の人々は長崎街道を町中へ付け替えさせた。

享保5年(1720)に直方藩が廃藩となり、家臣は福岡本藩へ帰った。町が寂れることを心配した人々の努力で、遠賀川の東岸を通っていた長崎街道は町中へ付け替えられ、町は存続してきた。観光ポータルは、大庄屋が本藩に願い出たと記す。

  • 直方藩の廃藩は享保5年(1720)
  • 街道は遠賀川の東岸から町中へ
  • 長崎街道は小倉〜長崎 約223.8km・25宿

くらし

遠賀川に沿う平野の東に、福智山が連なる。

  • 人口6万人規模

直方市は遠賀川に沿って開ける筑豊平野のほぼ中央にあり、東側は福智山山系で北九州市小倉南区と接し、西は宮若市・鞍手町と接します。福智山は標高約901mで、登山ルートが豊富と観光ポータルは紹介しています。

住んでいる人
56,212人
19952020

2015年より −1.6%

61,623 → 56,212人

面積
61.76km²

うち可住地 40.48km²

2024年

世帯数
23,675世帯

1世帯 2.4人

2020年

家賃(借家の平均)
3.9万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院6/診療所66

人口1万人あたり 12.8

2023年

面積61.76km²うち可住地40.48km² / 66%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 14園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

6市町村に、接している。

日本のなかの直方市33.744°N 130.730°E
東京大阪直方市
直方市の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

10.7km

北九州市・福智町・鞍手町・宮若市・小竹町・飯塚市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

直方市は、こういう町です。

  1. 01旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所は、明治43年(1910)に建った木造2階建ての洋風建築で、筑豊の炭鉱経営者らが集まって炭価調整などを議論しました。裏の高台の救護練習所模擬坑道とともに、国史跡「筑豊炭田遺跡群」の直方の構成資産です。
  2. 02須賀神社の境内には貞観3年(861)に隕石が落ちたとされ、直方隕石と呼ばれます。廃藩のあと、町の人々の努力で長崎街道が城下町の中へ付け替えられ、町は存続してきました。
  3. 03石炭記念館には貝島炭礦32号蒸気機関車が保存され、令和7年に市の有形文化財になりました。ほかに、高取焼の最初の窯とされる永満寺宅間窯跡、県指定の多賀神社御神幸、水町遺跡の横穴墓、花ノ木堰の大公孫樹があります。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。