01 / 旧戸島家住宅
眺望への配慮のため、座敷縁の東南隅に柱が立てられていない。

柳川藩の中老職だった吉田兼儔が、隠居後の住処として庭園とともに建てた葦葺二階建て。建築は文政11年(1828)とされる。池泉庭園には柳川城堀の水が引き入れられ、建物は2001年に市へ寄贈、2004年4月に公開施設として開館した。
- 建物は県指定有形文化財(昭和32年4月5日指定)
- 庭園は国指定名勝(昭和53年8月25日指定)
- 建築は文政11年(1828)とされる
- 2004年4月に文化財公開施設として開館
01 / 旧戸島家住宅

柳川藩の中老職だった吉田兼儔が、隠居後の住処として庭園とともに建てた葦葺二階建て。建築は文政11年(1828)とされる。池泉庭園には柳川城堀の水が引き入れられ、建物は2001年に市へ寄贈、2004年4月に公開施設として開館した。
02 / 中山の大フジ

三橋町中山の熊野神社境内にあるノダフジ。一株が地際で二つに分かれ、周15cm以上のツル11本ほどが広がる。享保年間(1716〜1735)に酒造業の「萬さん」が上方から種子を持ち帰り植え、のち熊野神社に奉納されたといわれる。
03 / 安東省菴と朱舜水
安東省菴は元和8年(1622)に本町で生まれ、38歳で柳川に帰ってからは儒官として藩の子弟の教育に当たった。長崎に亡命していた朱舜水と交わり、俸禄の半分を送り続けた。舜水が贈った孔子像3体は、安東家・湯島聖堂・伝習館高校に安置されている。
くらし
有明海の干満差を利用した干拓は、当地方で13世紀にはすでに行われていたと考えられています。慶長7年(1602)に田中吉政が堤防の補強を命じ、できたと考えられる干拓堤防「慶長本土居」を起点に、その後の干拓が行われました。柳河藩は明治初年までに2,540町の干拓を達成しています。
2015年より −4.9%
74,539 → 64,475人
うち可住地 77.15km²
2024年
1世帯 2.7人
2020年
全国平均 6.1万円
2023年
人口1万人あたり 10.1
2023年
人口は2005年以降(市域変更)。2005-03-21 に合併。2005年調査から市域が変わっている。
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
12.2km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
気になったら、町に聞いてみませんか。