五霞町・関宿水閘門(江戸川の流頭部)
よみもの

08542 / ごかまち

茨城県 猿島郡

五霞町

棒出しに代わって造られた、8つのゲート。

関宿水閘門|江戸川の流頭部

Photo by 京浜にけ (CC BY-SA 3.0)

01 / 古墳

軽石を積んだ石室の奥壁に、五輪の塔を思わせる板状の石をあてる。

五霞町の古墳
Photo by Saigen Jiro (CC0)

県指定史跡の円墳は直径30m、高さ約4mです。石室は、下段に人頭大の自然石を並べ、その上に整形した軽石を積んで側壁とします。県は、古墳時代後期と考えられるこの種の古墳は関東地方に例がないと記します。

  • 県指定史跡(昭和46年3月29日)
  • 側壁は整形した軽石
  • 奥壁に五輪の塔を思わせる板状の石

02 / 梵鐘

銘は文明8年(1476)、作者は1321年ごろとする鑑定も。

五霞町の梵鐘
Photo by 小石川人晃 (CC BY-SA 4.0)

東昌寺の梵鐘は県指定の工芸品で、銘に「願大旦那」の名と文明8年6月4日が刻まれます。県は、元亨元年(1321)ごろの下野国の鋳物師の作で、銘文は文明に至って刻んだとする学識者の鑑定を載せます。

  • 県指定の工芸品(昭和43年3月28日)
  • 銘は文明8年(1476)6月4日
  • 鑑定は元亨元年(1321)ごろの作

03 / 伝承

宇治川の先陣争いの名馬が、幸主で息を引きとったと伝わる。

町公式によると、幸主名馬尊は佐々木高綱と梶原景季の陣屋跡と伝わる場所に建ちます。由来書は、頼朝から授かった名馬生唼が傷を負ってこの付近で力尽き、先人が墓碑を建て、江戸時代に拝殿が建ったと記します。

  • 生唼の墓碑と伝わる
  • 佐々木高綱と梶原景季の陣屋跡と伝わる場所
  • 祭礼日は1月と4月の19日(由来書)

空から見た五霞町

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2021年5月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

幸手駅から、路線バスで22分。

  • 人口8千人規模
  • 郡部の町

町内に鉄道の駅は無く、埼玉県の東武日光線幸手駅から朝日自動車の路線バスで、毎日運転の便の最速22分で五霞町役場前に着きます。町公式の時刻表(2025年2月1日改正)によるもので、町公式は約20分と案内します。

住んでいる人
8,093人
19952020

2015年より −7.9%

10,312 → 8,093人

面積
23.11km²

うち可住地 22.91km²

2024年

世帯数
2,928世帯

1世帯 2.8人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所3

人口1万人あたり 3.7

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(99.1%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 2園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの五霞町36.114°N 139.746°E
大阪五霞町
五霞町役場前
五霞町役場前2007年
  • 幸手まで路線バス22分

所要時間は五霞町公式『路線バス(代替バス)について』(2025年8月8日更新)にリンクされた時刻表PDF『五霞町役場前~幸手駅線 時刻表』(朝日自動車・2025年2月1日改正)の下り(幸手駅発→五霞町役場前着)(2026-10-22 確認)。時間帯により異なります。

かたち

2県・5市町村に、接している。

五霞町の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

6.2km

茨城県
古河市・境町
埼玉県
幸手市・久喜市
千葉県
野田市

五霞町は、こういう町です。

  1. 01関宿水閘門は、江戸川の流頭部の棒出しに代わって造られ、8つのゲートの水門と、船を通す閘門からなる
  2. 02穴薬師古墳の石室は、軽石を積んだ側壁と、五輪の塔を思わせる板状の石の奥壁をもつ
  3. 03東昌寺の梵鐘は県指定の工芸品で、銘は文明8年(1476)、鑑定では作者は1321年ごろの鋳物師とされる

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。