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よみもの

43506 / ゆのまえまち

熊本県 球磨郡

湯前町

寺の本堂に、マンサード屋根がのる。

明導寺本堂|洋風の寺院

Photo by MK Products (CC BY-SA 3.0)

01 / 湯前駅本屋の柱

柱には、かつてのレールを再利用した部分がある。

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Photo by MaedaAkihiko (CC BY-SA 4.0)

大正13年(1924)に湯前線の駅として建てられた木造平屋の本屋で、2014年に国の登録有形文化財になりました。町の計画書は、柱にかつてのレールを再利用した部分があり、いまのレールと大きさを比べられると記します。国の解説は「沿線で唯一戦前の姿を留める駅舎建築」とします。

  • 1924年(大正13年)建築
  • 2014年 国登録有形文化財
  • 柱にレールを再利用

02 / 東方村と新貫

幸野溝の完成後にできた新田村は、約80年で3つの村に分けられた。

1705年に幸野溝が完成すると、現在の多良木町や水上村の一部も含む新田村「東方村」ができ、1789年に藩命で久米・多良木・湯前の3村に分けられました。湯前町内には全長665mの隧道「新貫」があり、町の計画書は、薩摩から測量技術者45人を招いて掘り直したと記します。

  • 1705年 幸野溝が完成
  • 東方村は約80年(〜1789年)
  • 新貫 全長665m

03 / 城泉寺の石塔

誤記から「城泉寺」と呼ばれる寺に、寛喜二年の刻銘の石塔が立つ。

明導寺の飛地境内にある阿弥陀堂は、本来は「浄心寺」の名です。町の観光サイトは、大正4年の仏像の国宝指定のときに誤記され「城泉寺」と呼ばれるようになったと記します。七重・九重の石塔は国の重要文化財で、ともに「寛喜二年庚寅」の刻銘があります。

  • 寛喜二年(1230)の刻銘
  • 七重・九重石塔は国の重要文化財
  • 大正4年の指定で「城泉寺」と誤記

くらし

人吉から24km、球磨盆地の東の端にある。

  • 人口4千人規模
  • 郡部の町

町公式の概要は、東は九州山脈で宮崎県西米良村と接し、北は球磨川をはさんで水上村と隣り合うと記します。面積は48.37km²。町内の鉄道駅はくま川鉄道の湯前駅で、町の湯前まんが美術館は、湯前に生まれた風刺漫画家・那須良輔を原点に漫画文化を発信しています。

住んでいる人
3,627人
19952020

2015年より −9%

5,350 → 3,627人

面積
48.37km²

うち可住地 12.92km²

2024年

世帯数
1,401世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所3

人口1万人あたり 8.3

2023年

面積48.37km²うち可住地12.92km² / 27%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 2園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・3市町村に、接している。

日本のなかの湯前町32.276°N 130.981°E
東京大阪湯前町
湯前町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

10.1km

熊本県
水上村・多良木町
宮崎県
西米良村

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

湯前町は、こういう町です。

  1. 01明導寺本堂は、大正15年(1926)に建った国登録有形文化財の寺院本堂です。マンサード屋根や尖頭アーチの窓など各部が洋風で、国の解説は、京都の龍谷大学で学んだ住職の長男が独自に設計したと伝えます。
  2. 02湯前駅本屋は大正13年(1924)の木造の駅舎で、柱にかつてのレールが使われています。幸野溝の完成後にできた東方村は約80年で3つの村に分けられ、湯前町内には全長665mの隧道「新貫」があります。
  3. 03城泉寺と呼ばれる明導寺阿弥陀堂の境内には、寛喜二年(1230)の刻銘がある七重・九重の石塔が立ちます。八勝寺阿弥陀堂は15世紀後半に遡るとみられる重要文化財で、風刺漫画家の那須良輔は、明治39年(1906)に架かった石橋・下町橋の近くで育ちました。

気になったら、町に聞いてみませんか。