01 / 旧芦田宿本陣
高札場も、問屋場も、酒造蔵もあった。いま建つ客殿は、寛政12年の建て替え。

芦田宿の本陣は、宿の設置とともに土屋右京左衛門が仰せつかり、明治維新まで代々勤めました。町公式によると、現在残るのは寛政12年に建て替えた客殿で、諸大名の宿札がたくさん残っています。旧芦田宿本陣土屋家住宅として、1988年に県宝に指定されました。
- 客殿は寛政12年の建て替え
- 諸大名の宿札が残る
- 1988年に長野県宝
01 / 旧芦田宿本陣

芦田宿の本陣は、宿の設置とともに土屋右京左衛門が仰せつかり、明治維新まで代々勤めました。町公式によると、現在残るのは寛政12年に建て替えた客殿で、諸大名の宿札がたくさん残っています。旧芦田宿本陣土屋家住宅として、1988年に県宝に指定されました。
02 / 津金寺宝塔
津金寺の裏山に、石の宝塔が3基あります。北塔と中塔は、滋野氏某夫妻が承久2年(1220)に生前の供養をして奉納したといわれる逆修供養塔。南塔は、嘉禄3年(1227)に亡父母を弔って造立したと伝えられる納経塔です。昭和49年に県宝に指定されました。
03 / 鳴石

蓼科山のすそ野に、鏡餅状に二つの巨石が重なります。昔は風が強く吹けば鳴ったことからこの名があり、柔らかく叩くと鈴のような音がするといいます。町は、6〜7世紀頃に蓼科の神を祀る祭祀の場として、古東山道の峠道に築かれたものと考えられると記します。
いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます
広域(約6km四方)
近景(約1.5km四方)
いま(2022年6月撮影)1974〜78年撮影
出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))
くらし
町内に鉄道の駅はなく、玄関口は立科町役場前のバス停です。東信観光バスの中仙道線が、しなの鉄道の大屋駅(上田市)とのあいだを、毎日運転の便で27分で結びます(町公式の時刻表による)。町は南北26.4km、東西9.9kmと細長く、町勢要覧は面積を66.87km²と記します(2015年版)。
2015年より −9%
8,712 → 6,612人
うち可住地 26.74km²
2024年
1世帯 2.5人
2020年
人口1万人あたり 6.0
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
ACCESS

所要時間は立科町公式『立科町バス路線案内・時刻表2026年4月~』(町公式 kurashi/koutsu、2026-09-18 更新のページからリンク)のp.13『中仙道線(大屋駅方面)』(東信観光バス。注に『令和6年4月改正のもの。最新は東信観光バスへ』)(2026-10-21 確認)。時間帯により異なります。
気になったら、町に聞いてみませんか。