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よみもの

29447 / のせがわむら

奈良県 吉野郡

野迫川村

杉を伐らず、屋根を貫かせたと禰宜は語る。

荒神社(立里荒神)

Photo by Dokudami (CC BY-SA 4.0)

01 / オコナイ

シラクチカズラの輪を杉丸太でねじ切る、北今西のオコナイ。

北今西のオコナイは、1月2日に阿弥陀堂で営まれてきた五穀豊穣の行事。県のアーカイブによれば、数十本のシラクチカズラで編んだ大きな輪を飾り、読経の途中で男たちが杉丸太を突っ込んでねじ切り、最後は立餅の競り売りで盛り上がる。県は1977年に無形民俗文化財に指定した。

  • 県の無形民俗文化財 1977年指定
  • 立餅の競り売り
  • 担い手の家は6軒(2018年)

02 / 村の成り立ち

明治22年、野川組・迫組・川並組が合併して野迫川村になった。

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Photo by アラツク (CC BY-SA 4.0)

村公式は、明治22年(1889)4月に野川組・迫組・川並組が合併し、現在の野迫川村が誕生したと記します。奈良県の西南端で和歌山県に接し、東西約10km・南北約20km、標高は400mから1344m。組の名と村名の字の関係は、村公式に記述がありません。写真は平の集落から南の眺め。

  • 1889年(明治22年)4月に合併
  • 東西約10km・南北約20km
  • 標高400〜1344m

03 / 姉妹都市

1997年、村のホームページの郷土料理が駐日スロバキア大使夫人の関心を引いた。

村公式の交流史によれば、1997年夏、村のホームページで紹介していた郷土料理に、当時のスロバキア共和国駐日大使夫人が興味を持ったのが始まり。同年10月に駐日大使夫妻が来村し、2003年9月12日にビソケ・タトリ市と姉妹都市提携の調印式が開かれた。交流史の記録は2003年まで。

  • 1997年夏に交流が始まる
  • 2003年9月12日 姉妹都市提携の調印式
  • 交流史の記録は2003年まで

くらし

高野山駅から、平日の村営バスで40分。

  • 人口1千人規模
  • 郡部の町

村内に鉄道の駅は無い。村公式(更新2024年4月16日)は、高野山方面は平日が村営バス、土日祝が南海りんかんバスと案内し、村営バスは土・日・祝日・年末年始が運休。村営バスの時刻表では、高野山駅から野迫川村役場まで40分。南海りんかんバスの立里線は、当面の間、土日祝の第1便のみの運行です。

住んでいる人
357人
19952020

2015年より −20.5%

875 → 357人

面積
154.9km²

うち可住地 2.64km²

2024年

世帯数
204世帯

1世帯 1.8人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所1

人口1万人あたり 28.0

2023年

面積154.9km²うち可住地2.64km² / 2%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 0園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・6市町村に、接している。

日本のなかの野迫川村34.166°N 135.633°E
東京野迫川村
野迫川村の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

17.7km

奈良県
五條市・十津川村
和歌山県
高野町・かつらぎ町・有田川町・田辺市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

野迫川村は、こういう町です。

  1. 01荒神社(立里荒神)は、弘法大師が高野山を開山する際に勧請したとされる神社で、荒神岳の山頂に位置する。禰宜は奈良県の『祈りの回廊』で、本殿の建て替えの際に境内で育った杉を伐採せずに屋根を貫通させ、そのまま育つようにしたと語る
  2. 02弓手原のオコナイも北今西と同じく県の指定で、2018年の県の談話によれば平成27年度を最後に中断し、映像と報告書が記録として残る。オコナイは新年から春の初めにかけて、村の寺堂や神社で行う五穀豊穣の行事と県は記す
  3. 03平維盛は熊野・吉野の山中を流浪の末にこの村で生涯を終えたと伝えられ、村公式は平維盛歴史の里に歴史資料館や維盛塚があると案内する。幕末に始まった高野豆腐生産は、大正末期から昭和初期に130軒ほどの豆腐工場があったと県の移住ポータルは記す

気になったら、町に聞いてみませんか。