01 / 若桜宿の宿内議決書
大火のあと、若桜宿会が決めた。家は道から約3.3m下げ、庇と水路を付ける。

1885年(明治18年)の大火のあと、若桜宿会は11条の取り決めを決議した。家は道の端から約3.3m下げて建て、約1.2mの庇「仮屋」と約60cmの水路を付けるなどと決めた。延焼を防ぐため人家を禁じ、蔵の新造は認め、土蔵群が成立したと考えられる。
- 1885年 大火後に11条の取り決め
- 家は道から約3.3m下げ、庇約1.2m・水路約60cm
- 蔵通りに土蔵20棟・約300m
01 / 若桜宿の宿内議決書

1885年(明治18年)の大火のあと、若桜宿会は11条の取り決めを決議した。家は道の端から約3.3m下げて建て、約1.2mの庇「仮屋」と約60cmの水路を付けるなどと決めた。延焼を防ぐため人家を禁じ、蔵の新造は認め、土蔵群が成立したと考えられる。
02 / 不動院岩屋堂

八東川の支流・吉川川に臨む岩窟の中に建つ、懸造りの堂。地元所有の書上帳は、天正9年(1581)の羽柴秀吉の鳥取城攻めの兵火で、岩屋堂だけが残ったと伝える。町公式は、3月と7月の最終日曜に大護摩修行があるとする。
03 / 落折の平家伝説

戸倉峠の中腹の落折には、平清盛の弟・平経盛とその配下20余名が逃れ、平氏再興を狙ったという伝説がある。隠れ住んだという洞窟や、経盛の墓と伝わる宝篋印塔が集落に残る。平成23年現在の15戸は、全戸が「平家」姓を名乗る。
くらし
若桜町は鳥取県の東南端、兵庫県と岡山県の県境に接する山あいの町です。東の氷ノ山(1,510m)など1,300m以上の山々に囲まれ、面積の95パーセントが山林です。大小10の河川が町内で合流して八東川となり、千代川へ流れます。雪の多い土地で、宿場の通りには雪よけの庇「カリヤ」が残ります。
2015年より −12.4%
5,548 → 2,864人
うち可住地 13.72km²
2024年
1世帯 2.4人
2020年
人口1万人あたり 10.5
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
23.7km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
気になったら、町に聞いてみませんか。