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よみもの

38203 / うわじまし

愛媛県

宇和島市

警察署だった洋館が、役場を経て里帰りした。

宇和島市立歴史資料館

Photo by As6022014 (CC BY-SA 3.0)

01 / 卯之刻相撲

大関の取組の途中で行司が止め、「明年まで預り」になるという。

11月3日の早朝5時、吉田町立間の八幡神社の拝殿で、神事相撲が奉納されてきた。大関の取組の途中で行司が止めに入り、「この相撲明年まで預り」と告げるという。市の解説では、力士は神様なので勝負は決しない。

  • 11月3日 午前5時(吉田秋祭の神幸行事)
  • 力士はいずれも神様、と市の解説
  • 吉田祭のお練り行事は国指定(令和7年3月)

02 / 遊子水荷浦の段畑

石を積んだ斜面の畑は、作物を替えて営まれてきた。

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Photo by osami (Public domain)

三浦半島北岸の小さな岬、水荷浦の斜面に、石積みの畑が50段余り重なる。麦とサツマイモに始まり、桑、大規模なサツマイモ、柑橘へと替わり、いま集落に接して残る畑では主にジャガイモを育てる。

  • 最も高い所で標高約60m
  • 平均勾配約40度・50段余
  • 国の重要文化的景観(平成19年選定)

03 / 小西本家離れ(色ガラスの家)

川の付け替え工事まで、小西家は申し出て施工した。

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Photo by As6022014 (CC BY-SA 3.0)

17世紀後半に藩の許可を得て宇和島城下から移った小西家は、酒造や新田開発、製塩などで巨万の富を得た。今の岩松川の流れは、江戸末期から明治初年の河川改修による。本家の離れ「色ガラスの家」と蔵の一部が修復された。

  • 小西家が宇和島城下から移ったのは17世紀後半
  • 岩松川は江戸末期〜明治初年の河川改修で今の流れに
  • 離れ「色ガラスの家」は事前申込か公開日に見学

くらし

伊達家の城下で、牛と牛が角を突き合わせる。

  • 人口7万人規模

初代藩主・伊達秀宗が入って以来の城下町で、ドーム形の闘牛場では定期闘牛大会が年4回開かれる。鯛めしやじゃこ天が郷土料理として知られ、真鯛の養殖も市が自慢に挙げる。

住んでいる人
70,809人
20052020

2015年より −8.6%

89,444 → 70,809人

面積
468.16km²

うち可住地 136.51km²

2024年

世帯数
31,452世帯

1世帯 2.3人

2020年

家賃(借家の平均)
3.8万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院7/診療所72

人口1万人あたり 11.2

2023年

面積468.16km²うち可住地136.51km² / 29%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103

人口は2005年以降(市域変更)。2005-08-01 に新設合併(吉田町・三間町・津島町)。2005年調査から市域が変わっている。

待機児童
—保育所等 24園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの宇和島市33.223°N 132.561°E
東京大阪宇和島市
宇和島駅
宇和島駅2020年
  • 大阪まで高速バス428分
  • 三ノ宮まで高速バス378分

所要時間は宇和島自動車「高速バス(神戸・大阪線)」の時刻表(公式ページ。昼行便のみ。夜行便は運休中と注記)の下り便(神戸・大阪→宇和島)(2026-09-30 確認)。時間帯により異なります。

かたち

1県・6市町村に、接している。

宇和島市の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

35.0km

愛媛県
鬼北町・西予市・愛南町・松野町
高知県
四万十市・宿毛市

宇和島市は、こういう町です。

  1. 01宇和島市立歴史資料館の建物は、明治17年に宇和島警察署として建てられた擬洋風の建築です。西海町(現・愛南町)の役場として使われたのち宇和島に里帰りし、樺崎砲台跡のそばに復元されて、国の登録有形文化財になっています。
  2. 02吉田町立間の八幡神社では、11月3日の早朝に卯之刻相撲が奉納されてきました。遊子の水荷浦には石積みの段畑が広がり、津島町岩松の小西本家の離れ「色ガラスの家」は、事前申込や公開日に見学できます。
  3. 03宇和島は伊達秀宗が入って以来の城下町で、宇和島城の天守は国の重要文化財、天赦園は国の名勝です。宇和津彦神社の秋祭では八ツ鹿踊りが演じられ、伊達宗城が呼び寄せた高野長英は、学塾の五岳堂で藩の青年に蘭学を教えました。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。