余市町・旧余市福原漁場
よみもの

01408 / よいちちょう

北海道 余市郡

余市町

ニシン漁の最盛期、床板が食卓になった。

旧余市福原漁場

Photo by さかおり (CC BY-SA 4.0)

01 / 旧下ヨイチ運上家

石を置いた長い屋根の建物が、「現存する唯一の運上家」。

余市町の旧下ヨイチ運上家
Photo by さかおり (CC BY-SA 4.0)

旧下ヨイチ運上家は、松前藩のアイヌ民族との交易を請け負った商人が拠点とした建物で、嘉永6年(1853)に建てられました。切妻平入の長大な石置屋根をもつと町は紹介します。国の史跡の解説は「現存する唯一の運上家」とし、後世の改変はあるが軸部はよく遺存するとしています。

  • 嘉永6年(1853)の建築
  • 切妻平入の石置屋根(町)
  • 1971年 国重要文化財
  • 1973年 国史跡

02 / フゴッペ洞窟

洞窟の壁には、800を超す刻画がある。

余市町のフゴッペ洞窟
Photo by Ozizo (Public domain)

フゴッペ洞窟の壁には800を超す刻画があり、人が仮装したようなもの、舟、魚、海獣などが見られると町は紹介します。堆積土層から出た土器や骨角器の分析から、およそ2000〜1500年前の続縄文期の遺跡と分かっています。

  • 刻画800超(町)
  • およそ2000〜1500年前の続縄文期(町)
  • 1953年 国史跡

03 / 西崎山環状列石

日時計型に置かれた配石7基は、約3,500年前の墓と考えられている。

余市町の西崎山環状列石
Photo by Fred Cherrygarden (CC BY-SA 4.0)

西崎山環状列石は、畚部岬に連なる丘陵上の遺跡です。見学できる地区は長径20m・短径10mの楕円形で、直径1m前後の配石7基が集まります。丸い河原石や角のある柱状の石を日時計型に置くのが特徴で、約3,500年前のお墓と考えられていると町は記します。

  • 配石7基
  • 長径20m・短径10mの楕円形
  • 1951年 道指定史跡

空から見た余市町

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2025年5月〜6月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

ニシン漁が、町の基礎を築いてきた。

  • 人口2万人規模
  • 郡部の町

積丹半島の東の付け根にあり、北側は日本海に面し、他の三方はゆるやかな丘陵地に囲まれると町は説明します。余市湾の西に突き出すシリパ岬は柱状節理が発達した断崖で、町はそのシンボルとします。行政面積は140.62km²で、約67%が山林です。

住んでいる人
18,000人
19952020

2015年より −8.2%

24,485 → 18,000人

面積
140.62km²

うち可住地 47.52km²

2024年

世帯数
8,283世帯

1世帯 2.2人

2020年

家賃(借家の平均)
3.8万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院2/診療所15

人口1万人あたり 9.4

2023年

面積140.62km²うち可住地47.52km² / 34%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

4市町村に、接している。

日本のなかの余市町43.195°N 140.784°E
東京大阪余市町
余市町の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

15.8km

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

余市町は、こういう町です。

  1. 01旧余市福原漁場は福原家が経営したニシン漁場の建物群で、最盛期には番屋の板の間の床板がはずれて食卓になった
  2. 02旧下ヨイチ運上家は松前藩の交易を請け負った商人の拠点だった嘉永6年の建物で、国が「現存する唯一の運上家」とする
  3. 03フゴッペ洞窟には800を超す刻画があり、西崎山環状列石には日時計型に置かれた配石7基が約3,500年前の墓と考えられている

気になったら、町に聞いてみませんか。