生坂村・山清路(犀川の峡谷)
よみもの

20448 / いくさかむら

長野県 東筑摩郡

生坂村

峡谷の名は、寺にちなむという。

山清路|犀川の峡谷

Photo by Qurren (CC BY-SA 3.0)

01 / 万平

馬場先の松並木は、元禄4年に250本。旗塚は、10基ほどあったという。

上生坂の万平は、丸山氏の居館があったと伝わる2ha余りの平地です。馬場先の松並木は元禄4年(1691)に250本植えられたと観光協会のガイドブックは記し、いまは1本。再現の植樹も続きます。南側にあった旗塚は1基が残り、村の史跡です。

  • 元禄4年(1691)に250本
  • 松並木は現在1本
  • 旗塚は村指定の史跡

02 / 金戸山の百体観音

西国・坂東・秩父の札所の観音が、金戸山と山清路の道に点在する。

生坂村の金戸山の百体観音
Photo by Qurren (CC BY-SA 4.0)

頂上周辺には西国・坂東合わせて約50体の観音が見られ、山清路の遊歩道沿いには秩父三十四番のうち10体余りが並びます。百番供養塔は会側が寛政10年(1798)、鷺ノ平側が文化年間。石工は八坂村田屋の常右衛門のみ知られると観光協会は記します。

  • 頂上周辺に約50体
  • 会側の供養塔は寛政10年(1798)
  • 石工は八坂村の常右衛門

03 / 卒倒坂

命名は巖谷小波といわれる桜に、村出身の俳人の句碑が立つ。

卒倒坂のひばり桜は、作家・俳人の巖谷小波が命名したといわれ、幹周は約3.4m。村出身の俳人・平林鳳二が桑園を寄附して公園を造り、昭和2年(1927)4月、御礼に青年団が句碑を建てました。傍らの九人句碑には法学者・加藤正治の句も刻まれます。

  • 幹周 約3.4m
  • 句碑は昭和2年(1927)
  • 村指定の天然記念物

空から見た生坂村

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2021年9月〜10月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

駅の無い村へは、明科から村営バス。

  • 人口2千人規模
  • 郡部の町

長野県東筑摩郡の村で、村内に鉄道の駅はありません。JR篠ノ井線の明科駅(安曇野市)から、村営バスの犀川線が国道19号を通って村内を結びます。日曜・祝祭日は全便が運休です。玄関口は生坂村役場です。

住んでいる人
1,639人
19952020

2015年より −11.1%

2,559 → 1,639人

面積
39.05km²

うち可住地 7.4km²

2024年

世帯数
665世帯

1世帯 2.5人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所1

人口1万人あたり 6.1

2023年

面積39.05km²うち可住地7.4km² / 19%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 1園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

5市町村に、接している。

日本のなかの生坂村36.425°N 137.928°E
東京大阪生坂村
生坂村の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

12.0km

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

生坂村は、こういう町です。

  1. 01犀川と麻績川の合流点にある山清路は、近くにあった山(三)清寺という寺にちなむ名といい、昭和3年に新聞社の主催で信濃十名勝の第二番に選ばれた
  2. 02万平には元禄4年に植えた松並木と旗塚があり、卒倒坂には巖谷小波が命名したといわれるひばり桜と、村出身の俳人の句碑が立つ
  3. 03金戸山の周辺には西国・坂東・秩父の札所を写した観音が約50体あり、村は東筑摩郡にあって鉄道の駅が無く、村営バスが明科駅と結ぶ

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。