Bronze torii of Hikosan Shrine.jpg
よみもの

40602 / そえだまち

福岡県 田川郡

添田町

柱の輪を一つずつ外されたと言われる鳥居。

銅鳥居|英彦山神宮

Photo by そらみみ (CC BY-SA 4.0)

01 / 中島家住宅(綿屋)

櫨蝋や酒などを製造販売した商家は、農家に近い平面をもつ。

小倉から英彦山に至る街道の宿場町で、櫨蝋(櫨の実からとった蝋)や酒などを製造販売した商家。屋号は綿屋。主屋と醤油蔵、酒蔵の3棟が国の重要文化財で、主屋は福岡県下の町屋では珍しく、農家に近い平面をもつ。

  • 国指定重要文化財(1977年1月28日)
  • 主屋・醤油蔵・酒蔵の3棟
  • 醤油蔵は天保13(1842)年

02 / 英彦山神宮奉幣殿

修理で前身の礎石が発掘され、建立は平安末〜鎌倉初期頃と分かった。

Hikosan Jingu Hoheiden 01.jpg
Photo by STA3816 (CC BY-SA 3.0)

山内最大の建物で、かつては霊仙寺の大講堂。今の社殿は元和2(1616)年に小倉藩主の細川忠興が再建した。前身の建物は永禄11(1568)年に焼失し、2006年の修理で礎石が発掘され、遺物などから建立は平安末から鎌倉初期頃と分かった。

  • 国指定重要文化財(1907年5月27日)
  • 桁行7間(22.38m)・梁間5間(16.9m)
  • 前身の礎石の発掘 2006年

03 / 英彦山大河辺山伏墓地

墓標を西方浄土へ向けた、下級山伏の墓と考えられる50基。

英彦山神領域の最下限にある町指定史跡で、江戸時代中期の墓地。墓標は西方浄土に向かうよう西を向き、梵字が刻まれる。女性の墓が多く、親子墓や夫婦墓もある。英彦山は女人禁制が早く解かれた山だった。

  • 町指定史跡(1998年3月20日)
  • 50基
  • 元禄〜享保の時代に形成

くらし

英彦山を境に、南は大分県と接する。

  • 人口9千人規模
  • 郡部の町

添田町は福岡県の東南部にあり、南は英彦山(町公式で標高1,199m)や鷹巣山を境に、大分県の日田市・中津市と接します。経済や行政、交通は北部の平坦地に集まります。日田彦山線は添田駅までが鉄道で、添田〜日田はBRTひこぼしラインが結びます。

住んでいる人
8,801人
19952020

2015年より −11.3%

13,763 → 8,801人

面積
132.2km²

うち可住地 21.47km²

2024年

世帯数
3,724世帯

1世帯 2.4人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所13

人口1万人あたり 15.9

2023年

面積132.2km²うち可住地21.47km² / 16%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 6園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・8市町村に、接している。

日本のなかの添田町33.572°N 130.854°E
東京大阪添田町
添田町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

16.1km

福岡県
川崎町・東峰村・赤村・みやこ町・大任町・嘉麻市
大分県
日田市・中津市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

添田町は、こういう町です。

  1. 01英彦山神宮の銅鳥居は、寛永14(1637)年に佐賀藩主の鍋島勝茂の寄進で建てられた青銅製の鳥居で、国の重要文化財です。現在地に移されたときに柱の輪を各1個外したため、ずんぐりした形になったと言われています。
  2. 02英彦山神宮の奉幣殿は山内最大の建物です。添田町の本町にある中島家住宅は、町が指定管理者を置く施設で、町公式の案内では水曜から日曜の10時から16時に開館しています。
  3. 03津野には、英彦山七口の津野口に位置する茅葺の農家、旧数山家住宅(国の重要文化財)があります。野田の高札場は町内で唯一現存するもので、2024年に町の史跡になりました。津野神楽保存会は豊前神楽の一団で、高木神社の神幸祭で奉納してきました。岩石山の山頂近くには岩石城跡があります。

気になったら、町に聞いてみませんか。