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よみもの

40609 / あかむら

福岡県 田川郡

赤村

橋の上流は切石、下流は凹凸の煉瓦。

内田三連橋梁|みつあんきょう

Photo by Muyo (CC BY-SA 3.0)

01 / 赤村トロッコ油須原線

使われずに終わった鉄路を、村のボランティアが走らせる。

Akamuratorokko.JPG
Photo by kamezukakofun (Public domain)

炭坑のために造られた国鉄油須原線は、開業しないまま廃線となった。その跡を赤駅前から野原越トンネルまで、トロッコが往復する。2005年7月から、赤村民主体のボランティア「赤村トロッコの会」が運営している。

  • 2003年10月5日に開業
  • 冬期を除く原則毎月第2日曜に運転
  • 乗車は寄付金 大人600円・小学生300円

02 / 大内田神楽

大内田が三戸になるまで、四月に舞うと神に約束したという。

明暦元年(1655年)に始まったといわれる神楽。牛馬の疫病に困った人々が大祖神社に願をかけ、みくじに「四月に神楽をせよ」と出たため、三戸になるまで舞うことを万年願として約束したという。県の豊前神楽保存連合会の会報は、保存会が令和7年度に活動を再開したと伝える。

  • 明暦元年(1655年)に始まったといわれる
  • 「三戸になるまで」四月に舞う万年願
  • 令和7年度に保存会が活動を再開

03 / 赤の名の由来

日本書紀の「我鹿屯倉」の推定地が、赤村ではないかとされている。

村公式は、霊峰「吾勝山(あがつのやま)」が今の岩石山で、東の平野を「吾勝野」と呼んだと言い伝わると記す。日本書紀は安閑天皇二(535)年に屯倉(みやけ)を設けたとし、その一つが「我鹿屯倉」。

  • 日本書紀 安閑天皇二(535)年
  • 我鹿屯倉の推定地
  • 吾勝山は今の岩石山

くらし

面積の7割余りを、森林が占める。

  • 人口3千人規模
  • 郡部の町

赤村は田川郡の村で、面積31.98km²のうち森林が23.01km²です。県の観光公式は、5月下旬から6月上旬にゲンジボタルが姿を見せる清流の里で、農業、とくに米づくりが盛んな村と紹介します。村公式は、県内でも「うまい米、あか村」の呼び声で広く知られると書きます。

住んでいる人
2,774人
19952020

2015年より −8.2%

3,726 → 2,774人

面積
31.98km²

うち可住地 8.98km²

2024年

世帯数
1,072世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所5

人口1万人あたり 18.0

2023年

面積31.98km²うち可住地8.98km² / 28%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

4市町村に、接している。

日本のなかの赤村33.617°N 130.871°E
東京大阪赤村
赤村の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

10.3km

みやこ町・添田町・大任町・香春町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

赤村は、こういう町です。

  1. 01赤村の内田三連橋梁(通称「みつあんきょう」)は、1895(明治28)年に豊州鉄道が造った橋長17mの煉瓦造3連アーチ橋で、登録有形文化財です。文化庁は、上流側の壁面に切石が貼られ、下流側は複線化を考慮して凹凸をつけて煉瓦が積まれていると解説します。所有は平成筑豊鉄道で、同社は2026年3月、沿線の協議会がバスへ転換していく大きな方向性を決議したと公表し、当面はこれまでどおり運行するとしています。
  2. 02赤村は筑豊地方の山間にあり、村公式は、炭坑が300か所を超えた筑豊で赤村には唯一炭坑がなかったと書きます。旧国鉄油須原線の跡では、赤村トロッコの会が運営するトロッコが、赤駅前から走ります。
  3. 034月の大内田神楽と、5月4・5日の光明八幡神社と我鹿八幡神社の神幸祭は、村の年間行事として行われてきました。村の名については、日本書紀の「我鹿屯倉」の推定地が赤村ではないかとされると、村公式が紹介します。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。