河内町・三義人供養塔(妙行寺)
よみもの

08447 / かわちまち

茨城県 稲敷郡

河内町

塔の台座に、13か村100名の名が刻まれている。

三義人供養塔|妙行寺

Photo by 小石川人晃 (CC BY-SA 4.0)

01 / 常夜燈

集落の全戸とともに、常夜燈も新しい堤防の内へ移った。

藤蔵河岸の金毘羅常夜燈は、天保10年の建立で、総高3.3m。竿部に「象頭山」と刻みます。幕末の最盛期には毎日3、40艘の高瀬船が出入りした河岸で、利根川の改修により大正3年(1914)、集落の全戸とともに新堤防の内へ移りました。

  • 町指定第22号
  • 幕末の最盛期は毎日3、40艘
  • 大正3年(1914)に新堤防内へ移転

02 / 句碑

一茶が22回訪れ、56泊した。俳友の句碑と墓が、田川に建つ。

岩橋一白は、田川河岸で栄えた上田川の名主役を勤め、一茶と同門の俳友でした。町の案内板によると、一茶は22回、56泊にわたり訪れています。句碑の正面には「延してものばしてもたらず帋鳶の糸」の句が刻まれ、墓には辞世の句が刻まれています。

  • 一茶の訪問は22回、56泊
  • 句碑の正面は一白の句
  • 墓にも辞世の句

03 / 字名

新田の字名には、他村から移り開いた歴史を伝えるものが多い。

河内町の字名
Photo by くろふね (CC BY 4.0)

寛文年間の新利根川の開削は、用排水の役割を果たし、新田開発を促しました。町公式は、羽子騎・古河林・手栗・庄布川・布鎌・大徳鍋子・竜ケ崎町歩などの字名を、他村からの移住開拓の歴史を伝えるものとして挙げます。

  • 羽子騎・古河林・竜ケ崎町歩など
  • 寛文年間の新利根川の開削
  • 町公式『河内の歴史』

空から見た河内町

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2008年5月〜9月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

竜ケ崎駅から、役場までバスで17分。

  • 人口8千人規模
  • 郡部の町

町内に鉄道の駅はありません。町営のコミュニティバスは、竜ケ崎駅から河内役場前まで17分です。運行は月曜日から土曜日で、日曜日・祝日・年末年始は運休です(町公式、令和7年9月1日改正の時刻表)。

住んでいる人
8,231人
19952020

2015年より −10.2%

11,726 → 8,231人

面積
44.3km²

うち可住地 44.3km²

2024年

世帯数
2,895世帯

1世帯 2.8人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所4

人口1万人あたり 4.9

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(100.0%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 2園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

6市町村に囲まれ、ほとんどが平地。

日本のなかの河内町35.885°N 140.244°E
大阪河内町
河内町の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

6.9km

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

河内町は、こういう町です。

  1. 01妙行寺境内の三義人供養塔は文政6年(1823)の建立で、台座に13か村100名の村民の名が刻まれ、町の案内板によれば法要が続く
  2. 02藤蔵河岸の金毘羅常夜燈は、大正3年(1914)に集落の全戸とともに新堤防の内へ移った
  3. 03岩橋一白の句碑と墓が田川にあり、町の案内板によれば一茶は22回、56泊で訪れた

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。