筑西市・内外大神宮(小栗)
よみもの

08227 / ちくせいし

茨城県

筑西市

内宮と外宮が、一つの境内に並び立つ。

内外大神宮|小栗

Photo by 小石川人晃 (CC BY-SA 4.0)

01 / 寺院跡

金堂の東西に塔を配した、奈良時代の寺の跡。

新治廃寺跡は、奈良時代に常陸国新治郡に造られた寺の跡で、国の史跡です。昭和14年からの発掘で、東塔・金堂・西塔が一直線に並ぶ伽藍配置と分かりました。東塔跡の基壇上には塔心礎があり、文字瓦も出土しています。近くには、郡役所と倉庫の跡の新治郡衙跡も国史跡です。

  • 昭和17年に国史跡
  • 東塔・金堂・西塔が一直線
  • 昭和14年から発掘調査

02 / 近代建築

モルタル塗りの洋館と土蔵造りの店蔵が隣り合う。

筑西市の近代建築
Photo by Suikotei (CC BY-SA 4.0)

荒川家住宅は、筑西市田町の国道50号沿いに店蔵と洋館が建つ、国登録有形文化財です。主屋は昭和8年のアールデコ調の洋館で、方形屋根が帝冠様式的な雰囲気を感じさせると市は記します。店蔵は明治40年の土蔵造り2階建て。内蔵の壁には松と鶴の鏝絵があります。

  • 平成11年に国登録・5棟
  • 主屋は昭和8年、店蔵は明治40年
  • 内蔵に松と鶴の鏝絵

03 / 生家

江戸中期の座敷が、波山の生誕の部屋として残る。

筑西市の生家
Photo by Miyuki Meinaka (Public domain)

板谷波山の生家は、県指定の史跡です。木造瓦葺き平屋建てで、座敷2間は江戸時代中期の建築。現存する座敷は波山が生まれた部屋と市は記します。板谷家は田町通りで醤油醸造を営んだ旧家で、昭和12年に町道の開通で移転しました。記念館には、田端の工房で使われた丸窯が移築されています。

  • 昭和40年に県史跡
  • 座敷2間は江戸時代中期
  • 田端の工房の丸窯を移築

空から見た筑西市

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2021年5月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

鬼怒川と小貝川が、南北を貫く。

  • 人口10万人規模

市は、東京から北へ約70kmの県西部に位置し、おおむね平坦で、鬼怒川・小貝川などが南北に貫流する肥沃な田園地帯と紹介します。平成17年3月、下館市・関城町・明野町・協和町が合併して生まれました。東西にJR水戸線が走り、下館駅から関東鉄道常総線が南へ延びます。

住んでいる人
100,753人
20052020

2015年より −3.7%

112,581 → 100,753人

面積
205.3km²

うち可住地 193.43km²

2024年

世帯数
37,491世帯

1世帯 2.7人

2020年

家賃(借家の平均)
4.2万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院6/診療所79

人口1万人あたり 8.4

2023年

面積205.3km²うち可住地193.43km² / 94%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 21園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・7市町村に、接している。

日本のなかの筑西市36.307°N 139.983°E
大阪筑西市
筑西市の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

20.0km

栃木県
真岡市・小山市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

筑西市は、こういう町です。

  1. 01小栗の内外大神宮は、内宮と外宮の両本殿を並立させる。両本殿は延宝7年(1679)、御遷殿は天正2年(1574)の建築で、3棟が国の重要文化財。市は、全国の伊勢神宮御厨に勧請された神明社の近世の社殿構成を伝えると記す
  2. 02新治廃寺跡は、東塔・金堂・西塔が一直線に並ぶ奈良時代の寺の跡で、国史跡。田町には、昭和8年の洋館と明治40年の店蔵が隣り合う荒川家住宅が建ち、国登録有形文化財になっている
  3. 03板谷波山の生家は県指定史跡で、生誕の部屋とされる座敷が残る。市内にはほかに、土塁と堀が残る国史跡の関城跡や、東日本で初めて弥生時代中期の再葬墓が明らかになったと市が記す女方遺跡がある

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。