01 / 川港
会津藩の物資は、津川から舟で新潟へ。船着場には、150隻もの帆掛け船が発着した。

津川は会津藩の西の玄関口でした。会津の廻米や会津塗などを船積みし、阿賀野川の水運で新潟へ送りました。船着場の大船戸には丁持衆が100人働き、明治には90m下流に新河戸が造られました。跡は旧麒麟橋の付近です。
- 帆掛け船150隻
- 丁持衆100人
- 新河戸は90m下流
01 / 川港

津川は会津藩の西の玄関口でした。会津の廻米や会津塗などを船積みし、阿賀野川の水運で新潟へ送りました。船着場の大船戸には丁持衆が100人働き、明治には90m下流に新河戸が造られました。跡は旧麒麟橋の付近です。
02 / 薬師堂
平等寺は995年に平維茂が建て、川で見つけた黄金の薬師像を安置したと伝わりますが、町は創建に確証はないとします。いまの堂は桁行三間・梁間四間の茅葺で、寄棟造の妻入。1923年に重要文化財になりました。堂内は非公開です。
03 / 手漉き和紙
文献では1590年にさかのぼる、上川の小出の手漉き和紙です。江戸時代は会津藩の御用紙として盛んに漉かれましたが、いまは町が1戸、観光協会が2戸と記すほどに減りました。地元産の楮を使い、「みざらし」という日の光だけの漂白をします。
くらし
2005年に津川町・鹿瀬町・上川村・三川村が合併した町で、面積は952.89km²。町の中央を阿賀野川と支流の常浪川が流れ、北に飯豊山塊、北西に越後山脈が広がります。会津と越後のはざまにあり、平安時代から700年あまり会津に属した東蒲原郡です。玄関口はJR磐越西線の津川駅です。
2015年より −14.7%
14,703 → 9,965人
うち可住地 168.48km²
2024年
1世帯 2.5人
2020年
人口1万人あたり 9.0
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
45.2km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
気になったら、町に聞いてみませんか。