01 / 渡し
江戸防衛の拠点の一つは、利根川の渡し場だった。
川俣の渡船場は、元和2年(1616)に江戸防衛のための関東16定船場の1つに指定されました。渡船場から富士が美しく見えたため、庶民は「富士見の渡し」と呼びました。川俣宿は、明治40年(1907)の鉄道の開通などで役目を終えました。
- 1616年 関東16定船場の1つ
- 「富士見の渡し」
- 1907年 鉄道の開通で役目を終える
01 / 渡し
川俣の渡船場は、元和2年(1616)に江戸防衛のための関東16定船場の1つに指定されました。渡船場から富士が美しく見えたため、庶民は「富士見の渡し」と呼びました。川俣宿は、明治40年(1907)の鉄道の開通などで役目を終えました。
02 / 石経
行鑁上人は、疫病の災難を救おうと、拾った石に一字ずつ経文を書き写し、正徳3年(1713)5月27日に書き終えました。その石を新里の天満宮の北西の隅に埋めて塔を建てました。町の指定史跡「経塚附石経圓塔」です。
03 / 鳥居
須賀の菅原神社の鳥居には、元文元年(1736)9月の吉日に造立したと記す銘があり、「四国・西国・板東・秩父百八十八箇処巡礼供養」とあります。天満宥泉寺の法印・慶讃の名も記されています。町の指定史跡です。
いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます
広域(約6km四方)
近景(約1.5km四方)
いま(2021年4月撮影)1974〜78年撮影
出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))
くらし
町内の駅は、東武伊勢崎線の川俣駅です。町は利根川に沿って東西約11km・南北約3kmの細長い形で、標高は約17〜21m。町のあちこちに梨園があり、毎年7月には4つの地区で三頭の獅子が舞うささら舞が行われます。
2015年より −1.5%
11,255 → 10,882人
うち可住地 19.62km²
2024年
1世帯 2.7人
2020年
人口1万人あたり 5.5
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
ACCESS

所要時間は町公式「明和町へのアクセス」(2026-04-07 更新)の値と、Yahoo!路線情報の川俣駅の時刻表(東武伊勢崎線・館林方面。列車ごとの停車表に始発駅・発着時刻・運転日の注釈が出る。2026-10-21 に読んだ)で数え直した値(2026-10-21 確認)。時間帯により異なります。
気になったら、町に聞いてみませんか。